リーフラスチャレンジ

林 祐征さん

リベルタサッカースクール指導員/元プロサッカー選手《アビスパ福岡》

現役時代は、引退後の仕事のことを考えているようで、考えたくなかったというのが本心です。 引退を考えるということは、大好きなサッカーをやめる時。正直とても不安でした。 ですから所属チームから戦力外通告を受けた時、まだ挑戦をするか、 新しい仕事を始めるかとても悩みました。しかし、引退はいつかは直面すること。 30歳目前、次男が産まれたばかりで、この不安定な生活を続けるよりも、 今が何かに挑戦する良い時期なのではと思い引退を決意しました。 そして改めて、引退後の仕事のことを真剣に考え、サッカー一色だった自分に何ができるのか、 サッカー以外に何が好きなのかを考えました。私はサッカーをしていなければ保育士になりたかったので、子どもに関わる仕事をしたいと思うようになりました。

引退後、子どもに関わる仕事を考えたとき、最初に頭に浮かんだのが「リーフラス」でした。 実は、現役時代から名前を知っており、アビスパ福岡時代の先輩が働いていることも知っていたためです。しかし、どういう会社なのかは知りませんでした。漠然とサッカー教室というイメージでした。 しかし、HPを探し、会社の「人を大事にする姿勢、そして何よりもスポーツを通して教育をするということ」に感動しました。 自分も人間形成の軸にサッカーを通して得た様々なものがあります。サッカーを通して得た様々な経験は、厳しいプロの世界で生きていくうえでとても役に立ちました。 リーフラスはそのことを子どもたちに伝えていける場所だと思い、是非リーフラスに入社したいと思いました。

大好きな子どもたちに、サッカーを教えられる喜びを実感しています。 子どもたちの考えていることや行動が新鮮で、刺激をもらいながら、その笑顔から毎日元気をもらえていることです。 そして、社員の皆さんも私が働きやすいように声をかけてくれたり、いろんな面で助けて下さり、本当に感謝しています。

子どもたちに、サッカーを通して、今後の人生でぶつかる様々な壁を乗り越えていく糧を与えてあげられればと思います。サッカーが子どもたちの自信の源になるような指導ができるようになりたいです。  その中から、自分を超えるプロサッカー選手を育てられれば、なお嬉しいです。

寺田 一太さん

リベルタサッカースクール指導員/元プロサッカー選手《ザスパ草津》

ザスパ草津を退団したあとに他のJリーグのチームのセレクションを受けましたが、どこも受からずなかなか次のチームが決まりませんでした。この時点での引退も考えましたが、自分自身まだやれるという自覚があったのでこの中途半端な状態で引退すれば一生後悔すると思い、もう一度一から鍛えなおす覚悟で1年間サッカーの専門学校に入学しました。1年後にもう一度Jリーグのチームを受けてダメであれば引退すると決めていたので、この1年間はすべてをサッカーに捧げ、朝から晩まで身体が壊れる限界まで練習をしました。 そして年末に某Jリーグチームの練習に一週間参加しましたが、結果として入団することはできませんでした。しかし、1年前とは違いこの時の私は「ここまでやってダメだったのだから仕方ない」と何の未練もなく、晴れやかな気持ちで引退することを決断できました。人生は何事も最後までやりきる大切さをここで学びました。

私自身サッカーを通して本当に色々なことを学ばせていただきました。 勝つ喜び、負けた悔しさ、努力の大切さ、挫折から這い上がること、集団行動の大切さ、サッカーを通してできた多くの仲間。 そして何よりも、小さいころから「サッカー選手になりたい」という夢を持ち続けてきたので、非常に充実した少年時代を過ごすことができました。 次はこの素晴らしい経験を一人でも多くの子どもたちに体験してほしいと思い、子どもたちにサッカーを教える仕事を探していました。 そんな中、数ある子ども向けスポーツスクールの中でもリーフラスは競技だけではなく、それと同等かそれ以上に人間性の指導に重点をおいていたので、 私も子どもたちにはサッカーを通して人間性を高めてほしいという思いがあったのでリーフラスを選びました。

まず第一に楽しいということ。 スクールで子どもたちと接していると、本当に楽しく、時間があっという間に過ぎていきます。良い意味で仕事ということを忘れます。 世の中にはお金を稼ぐために辛い思いに耐えて仕事をしなくてはならないということも多くあると思いますが、好きなことを仕事にできるということは本当に幸せなことだと思います。 また、子どもたちは夢に満ちていて目がキラキラ輝いているので、辛いことがあったときや、仕事が忙しいときでも、スクールに行けば元気がもらえ頑張ろうという気持ちになります。 子どもたちが今までできなかったことができるようになって、嬉しそうに報告してくれる姿などを見たら、子どもたちのためにこれからも頑張ろうという前向きな気持ちになります。

これからも、一人でも多くの子どもたちにサッカーの楽しさ、夢をもつことの大切さを伝えていきたいです。 自分のスクールに来てくれている子たち全員の目が希望で輝いているようにしていきたいです。 その中で将来Jリーガーが出てくれたらさらに嬉しいです。

山形 恭平さん

リベルタサッカースクール指導員/元プロサッカー選手《アビスパ福岡》

所属チームから戦力外通告を受けた時は、まだ現役選手としてやれる自信もあり、実際に他のチームからも声をかけて頂いていました。独身であれば、見返す勢いでサッカーに食らいついていたかも知れませんが、大切な家族を養う立場であったことからも、明日どうなるかわからない業界にしがみ付くことができませんでした。しかし、人生そのものがサッカーだった私は、サッカーしか知らず、サッカーしかできないため、引退後に何が残り、何が出来るのか…どのように生きて行けば良いか分からなくなりました。 まだ若く、柔軟で、何事にも可能性がある年齢の間に、新しい道を選ぶことが賢明だと思い、 第2の人生を決断しました。叶えた夢を追い続けることはもちろん素晴らしいことですが、プロの世界で活躍している多くの選手は、いつか直面する問題だと思います。

引退後もコーチの依頼やサッカー関係者から声はかかりましたが、サッカーに関する何もかもが嫌だという状況に陥っていたので、当初、第2の人生はサッカーから完全に離れることを考えていました。これまで築いてきた人との繋がりもあって、新しい仕事を紹介してくれる方も沢山あり、家業を継ぐことも視野に入れていました。しかし、よく“大切なものは失って初めてわかる”と言うように、サッカーと無縁の生活が続き始めると、やはりサッカーが大好きだということに気付き始めました。現役中にも、子どもにサッカーを教えることは好きだったので、現役中にお世話になった知人にリーフラスを紹介していただいた時には、すぐに働くイメージができました。 ここであれば、サッカーに携わると同時に、生まれ育った福岡の地、応援してくれた家族や友人、ファンの皆さまに恩返しができると思いました。

「消極的だった子が、先生のスクールでサッカーを始めて変わりました。運動会ではリレー選手に立候補して、1位をとるまでになりました。」 この仕事に就いて、保護者の方から初めてかけて頂いた心温まる言葉です。 私たちが行っている仕事は子どもの成長=人の人生に深く関わる大切な仕事なのだと感じました。 泣き虫だった子が涙を堪えるようになったり、もじもじしていた子が元気よく挨拶ができるようになったり…子どもたちの小さな成長を日々身近で感じることが、今の私にとって大きな幸せです。

教え子たちに、ずっとサッカーを好きでいてもらいたい。 そして彼らがプロの世界で活躍することが私の夢です。

山形恭平先生に指導を受けているお子様にインタビュー

塩原スクール:よしおか りょう君(6年生)、りょうくんのお母様

Q1.サッカーを始めたきっかけは?

りょう君:もともとは空手を習っていたのですが、体育の授業で初めてサッカーをして、楽しいと思ったからです。

Q2.山形先生はどんな先生??

りょう君:サッカーの細かいところまで、とても 丁寧に教えてくれて、先生自身もサッカーがすごく上手なので尊敬しています。普段は優しくておもしろい先生です。
りょう君母:普段は優しい先生ですが、プロの世界を知っているだけあり、サッカーに対する姿勢は厳しく妥協されません。技術面では的確にコツを教えて頂いています。

Q3.嬉しかったエピソード

りょう君:ヘディングリフティングを半月ほど一人で練習していたけど、なかなかできなくて先生に相談しました。 すると、少しアドバイスをもらっただけで、週間後にはできるようになっていました。山形先生みたいにプロの選手(元プロの選手)に教えてもらうと、 すぐに上達すると思います。そんな先生がもっと増えると嬉しいです。
りょう君母:私自身、どんなに練習してもできなかったことを、先生の少しのアドバイスですぐにできるようになった息子を見て、本人以上に嬉しい気持ちになりました。

Q4.セカンドキャリアの指導員について

りょう君母:元プロの方が指導しているチームは他にもあるのでしょうが、ここでは練習メニューの構成や技術指導はもちろん、 特に教育的指導に力を入れてくださっているので、本物の指導者としてレベルは格段上だと思います。何より、プロの世界を経験した方が身近にいると、夢や目標をもつ子どもが増えると思います。 子どもたちが、そういった夢や目標を持って何かに取り組める人間に育ってくれることは、保護者としてとても嬉しいことです。

Q5.将来の夢は?

りょう君:サッカー日本代表になって、山形先生を越えることです。

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